一流ブランドを築いた二人の天才


フランク・ミュラーは、古いものを愛し敬意を払いながら、
そこに新しい技術と感性を加えることによって、
独自の時計を生み出してきた。
この天才も、たった一人では現在のような地位を
築き上げることは不可能であっただろう。
フランク・ミュラーブランドの立役者の一人に、
ヴァルタン・ジルマケスがいる。
宝石商だった彼は、まだひとりの時計師でしかなかった
フランク・ミュラーに成功の芽を見出し、投資を惜しまなかったのである。
フランク・ミュラーの代表作であるトノーカーベックスも、
ヴァルタンの力なくして世に出ることはなかった。
開発当時、トノーカーベックスはその複雑な構造から、
とても量産は不可能だといわれていた。
当時、製造を実現するメーカーはスイスに存在せず、
あったとしても新興ブランドに力を貸してはくれなかったのである。
そこで、フランクとヴァルタンは優秀なケースメーカー、エコフェから
技術を習い、自社でケースを製造する体制を整えた。
苦心の末、発表したトノーカーベックスは、世界から賞賛されたのである。
この「自社一貫製造」こそが、フランクミュラーを
一流ブランドたらしめる理由のひとつと言っても過言ではないだろう。
時計の天才と起業の天才。フランクミューラーはふたりの出逢いが
結晶した奇跡なのである。

フランク・ミュラーの名声を轟かせたトノーカーベックス。


クランク・ミュラーブランド設立の翌年、
衝撃のデビューを果たした腕時計。
それがトノーカーベックスである。
トノー型(樽型)の腕時計は、20世紀初頭からあるデザインで、
それ自体はさして目新しいものではない。
少年時代から骨董の時計に親しんできたフランクにとって、
アールデコのトノー型時計は、お気に入りの一つだったのだろう。
フランクはこのレトロなトノー型に3次元のボリュームを加え、
独創的で完璧なフォルムを生み出した。
腕にフィットするよう湾曲したカーペックス形状。
それに合わせてデザインされたケースは、
サファイアクリスタルが3次元にカットされ、
どの面から見ても緩やかに湾曲している。
古いものに新しいアイデアを用いると、まったく新しいものが生まれるという、
創造の理想形がこのトノーカーベックスである。
発表後、この衝撃作はまたたく間に世界を席巻し、
フランク・ミュラーを一流ウォッチブランドにのし上げた。
現在でもフランク・ミュラーの比類なき代表作である。

WHO? フランク・ミュラーとは何者か?


フランク・ミュラーは、1958年スイスのラ・ショー・ド・フォンで
厳格なスイス人の父と明るいイタリア人の母の間に生まれた。
幼い頃から骨董品に興味を持ち、特に古い機械式時計に魅せられていた。
少年時代からすでに時計づくりに目覚めていたのである。
17歳でジュネーブ時計学校に入学。3年間で履修すべき単位を
わずか1年で修得、主席で卒業した。
卒業後には、オーダーメイドの時計製作や
コレクターや博物館からの依頼を受けて時計の修復作業を行うようになる。。
その一方で、独自の時計製造に情熱を燃やしていた。
1986年、新構造のトゥールビヨン腕時計を製造。
1991年にフランクミュラーブランドを設立、
以後、毎年のように複雑構造の時計を発表している。
1998年には世界最小のトゥルービヨン・ムーブメントの開発に
成功し記録を樹立するなど、
世界初の偉業をなしとげては時計業界を驚かせてきた。
フランク・ミュラーは、孤高のブランドの創業者であり、
今も少年時代の心を失わない情熱の時計技師である。
ここに、わずか20年の間で世界最高のウォッチブランドまで昇りつめた
フランク・ミュラーの秘密が隠されている。